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複雑な心



久しぶりにお菓子を焼いてゆったりした時間を過ごした週末。グレー色の空と葉がすっかり落ちた木々を眺めて冬を感じつつ、四季があるこの場所に住むことの幸せを感じている今日この頃です。


今日は人の心の複雑さについて。


私たちは時々、相反する二つの気持ちに混乱させられることがあります。楽しいけど、疲れる。好きだけど、面倒。嬉しいけど、寂しい。などなど、一体どっちなのかはっきりしない気持ちのせいで、複雑な心境になることがあるかもしれません。


たとえば、子供が親元から巣立っていく状況。親としては誇らしい気持ちなのに、どこかで不安や寂しさを感じてしまうこと。


パートナーが旅行や出張で不在になること。寂しい反面、自由な時間に解放感を感じること。


子供を誰かに預けて出かけるとき。後ろ髪を引かれる思いがする反面、大人の時間が持てて幸せなこと。


介護していた親が旅立ったとき。悲しい気持ちの反面、ほっとしている自分がいて罪悪感を感じること。


願っていたポジションに就けたとき。憧れていた理想的な状況のはずなのに、それなりにやってくる疲労やストレスで、不満を感じること。


結婚したいと思っている反面、本当にそうしたいのかが分からないと思う瞬間があること。


今とは違う新しい生活環境を求めているのに、今いる場所を離れられないこと。



などなど。

日常生活の中でこういった相反する気持ちを感じて、「わたしは一体どうしたいんだろう?」と、不思議に思ったり悩んでしまうことがありますか?


心理学的には、私たちの中にはいろいろなキャラクターが存在していると考えます。これをサブパーソナリティと呼んだりしますが、通常、人は一人につきいくつものサブパーソナリティを持っています。


たとえば、自分の中にいる「仕事仕様」の自分。仮に自分が女性で職業が教師であったとしたら、学校での「先生」をしているときの自分というサブパーソナリティが一つあり、そして家庭での「母親」としての自分がさらに一つ。さらには妻としての自分がいて、そして学生時代からの友人たちの過ごしている時の自分は、おそらくそれぞれに少しずつ違うキャラだと考えられます。


先生仕様の自分のままで夫や子供たち、さらには友人たちにも接してしまったら、関係性にちょっとしたズレが起きるかもしれません。逆に、家庭仕様の自分で職場の同僚たちと接していたら、それはまたズレが発生してしまうはず。


他にも、両親や兄弟姉妹に対しての自分であったり、趣味を仲間たちと楽しんでいる自分であったり、またはある特定の人物といる時の自分が他の人といる時の自分とは違っているのを感じたりすることもあるかもしれません。


サブパーソナリティーとは、こういった自分の中に存在している、いろんな「仕様」の自分です。それぞれのサブパーソナリティには存在意義があり、その仕様の自分が造られた歴史があります。そして、それぞれのサブパーソナリティは求めていることが違っている場合もあるのです。


たとえば、先生仕様の自分は、生徒や親御さん、同僚たちから信頼されるしっかりした自分でありたいと思っているとします。でも、パートナーや夫婦間においては、しっかりしているよりも支えてもらいたい思いが強いかもしれません。


私たちの日常では、状況に応じてその場に合ったサブパーソナリティが前に出てきます。でも時折、状況に応じては相反するニーズを持ち合わせたサブパーソナリティたちが同時にステージに立つこともあり、そうなると自分の中で異なる思いが交差して複雑な心境になることがあります。


そういったことに気がついたら、相反する二つの気持ちがそれぞれどこからきているのかを考えてみます。そして、それぞれのニーズに耳を傾けてあげます。否定したり、罪悪感を感じる必要はありません。両方ともそれぞれの主張があって、どちらも自分の思いであり、それで大丈夫なのです。


心のワークでは、こういった自分の中にいるいろいろなサブパーソナリティに気がついて、それが自分に気分や行動、意思決定にどんな影響を与えているかを観察してみる作業をします。目から鱗の気づきがあることもあり、自分という人間の奥深さを知るこの作業は、自分自身と付き合っていく上でとても有意義なことだなぁと感じています。



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